「これで、あなたたちの死を無駄にしないと伝えられる」。石巻市の私立日和幼稚園訴訟の遺族らは、園側の法的責任を認めた17日の仙台地裁判決を「画期的」と評価した。二度と帰らないわが子の遺影を胸に、何度も声を詰まらせた。


◎「教育現場防災向上を」


 勝訴判決を受け、園児3人の遺族5人が仙台市青葉区で記者会見した。

 当時6歳だった次女佐々木明日香ちゃんを亡くした純さん(34)、めぐみさん(34)夫妻は「日和幼稚園のケースだけでなく、学校管理下などでの事故に対しても司法が方向性を示してくれた」と語った。「子どもを預かる教育関係者に判決を知ってほしい」とも述べ、教育現場の防災対策向上につながるよう期待を込めた。

 西城春音ちゃん=当時(6)=の父親の靖之さん(45)は「大地震や津波が起きたことは仕方ないが、多くの尊い命が失われたことまで『仕方ない』で片付けていいのか」と強調。「二度と同じことがないよう大人が子どもを守れる社会であってほしい」と訴えた。

 なぜ、幼いわが子が死ななければならなかったのか−。その真相を知りたくて、親たちは訴訟に踏み切った。

 「訴訟を通じて何を知ったか」との報道陣の質問に、靖之さんは「幼稚園には全てを正直に話してほしかったが、裁判ではそうはならなかった」と不満を示した。妻江津子さん(38)は「裁判で幼稚園から何を知ることができたかは分からない」と言葉少なに話した。

 佐藤愛梨ちゃん=当時(6)=の遺影を手にした母美香さん(38)は、係争中の他の訴訟の遺族らに「判決はいい意味でたすきをつなげたと思う。くじけそうな時も子どもたちのために頑張ってほしい」とエールを送った。

 今後については「娘のいない日は続く。心の底から笑える日はないと思う」と声を振り絞り、愛らしい笑顔を浮かべる娘の遺影に目を落とした。


◎「思いをくんだ判決」 他の津波訴訟原告ら歓迎


 津波犠牲者遺族が管理責任をめぐって起こした訴訟の判決は「原告の主張をほぼ全面的に認める」(弁護団)結果となった。同様の津波訴訟を争っている原告は歓迎する一方、日和幼稚園のある石巻市の住民らは複雑な心境を漏らした。

 「本当に良かった」。判決直後、仙台地裁の廊下で男性(38)が原告の一人の肩を抱いた。

 男性は宮城県山元町の私立保育園で娘を亡くし、園児5人の遺族とともに園の安全配慮義務違反を問う訴訟を起こした。「仕事に手が付かなくなると思って傍聴に来た。子どもを亡くした仲間同士で励まし合ってきた」と振り返った。

 本年度内に判決が予想される七十七銀行女川支店(宮城県女川町)訴訟の原告田村弘美さん(51)も傍聴した。「亡くなった方の命が無駄にならずに済む。真実を追求してきた原告団の心中を察する」と涙をこらえた。裁判所に対して「遺族の思いをくんでくれた」と感謝の気持ちを述べた。

 同じ遺族として判決を歓迎しながら、自身の訴訟への影響について冷静に受け止める人もいる。

 ニュースで判決を知った常磐山元自動車学校(山元町)訴訟原告の寺島浩文さん(50)は「判決自体は良かったが、われわれは別の訴訟なので、気を抜かずに闘う」と語った。

 日和幼稚園は現在、休園している。近くに住む自営業の男性(36)は「わざわざバスで海に近い地域に向かった判断は理解できない。当然の判決だ」と言い切った。

 一方、近所の女性は「震災直後の混乱の中で幼稚園は正しい判断ができなかったのだろう。地震が悪かったと思うほかない」と話した。


◎判決まで闘った重み


<日本海中部地震津波犠牲者の遺族>


 「日和幼稚園訴訟の原告が判決まで闘った意味は大きい。裁判は並大抵の気持ちではできない」

 北秋田市の山あいの集落に住む三浦清一さん(68)は判決の重みをかみしめる。

 日本海中部地震が発生した1983年5月26日。三浦さんの長女紀子さん=当時(9)=ら旧合川町合川南小(現・北秋田市合川小)の児童13人は遠足中の男鹿市の海岸で津波に遭い、亡くなった。

 三浦さんは当時、仕事先の山梨県内にいた。持ってきていた遠足の資料には海岸に立ち寄る予定はない。安心して車で帰宅すると、紀子さんの弟がつぶやいた。「お姉ちゃんが帰ってこねえ」

 紀子さんらを引率した教師は「地震には気付かなかった」と話し、町は「教師に責任はない」と説明会を打ち切った。

 「死を無駄にせず、真実を究明したい」。三浦さんら児童5人の遺族は同年10月、町に損害賠償を求め、秋田地裁に提訴した。町側は「教師は地震発生を知らず、津波を予見できなかった」と主張した。

 遺族側にとって真相の解明は困難な上、取り巻く状況は深刻だった。嫌がらせの電話や「金目当てだ」といった中傷が相次ぎ、1遺族が訴えを取り下げた。

 提訴から4年後の87年10月、和解を選んだ。最高裁まで闘うつもりだったが、他の遺族の事情に配慮した。「裁判後も人生は続く。引き際を考えなければいけなかった」と振り返る。

 自宅で紀子さんの遺影に「一生懸命やったけど、力が足りなくてごめんな」と謝った。

 今も時折、紀子さんの夢を見る。「父さん」と言いながら三浦さんの背中に体を当ててくる。

 「死んでもめんこいもんな。生きてたら、もっとめんこいべ」

 和解から約26年を経た17日、日和幼稚園訴訟の司法判断が示された。

 三浦さんは言う。

 「園児の命を預かる現場が子どもを気遣う心を普段から持つことは、災害時に正しく判断し、命を守ることにつながる。判決は後世に教訓として残る」