阪神大震災(95年)で大きな被害を受けた神戸市長田区の中心地で、地震発生2日後から食品や日用品のワゴン販売を始め、多くの被災者を支えた「大丸新長田店」が、業績低迷を理由に31日に閉店する。「人と人との距離が近い店だった」。当時を知る店員は最後の日まで笑顔で客を迎えるつもりだ。

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 地震発生の95年1月17日は店休日だった。近くのJR新長田駅は全壊し、付近は一面の大火になった。同店内部では棚が倒れ、商品が散乱したものの、倒壊や延焼は免れた。


 89年から約15年間、同店の食品担当だった外山武司さん(48)は震災当日、山口県に旅行中だった。燃えさかる長田の街の映像を朝のテレビで見て、とって返した。午前中は店につながっていた電話も昼過ぎには不通になった。


 翌日に兵庫県明石市の当時の自宅から原付きバイクで出勤。従業員にも犠牲者が出ていたが、出勤できたスタッフで「食べ物を何とか地域の人に」と食品をかき集めた。停電のため、冷蔵や冷凍の食品を捨てなければならなかったのが切なかった。


 被害が少なかった明石市の卸売市場の業者と交渉し、コロッケなどの揚げ物を確保した。「調理せずにその場で食べられるものを出したかった」。エレベーターも動かなかったため、上階にあったワゴンを抱えて1階玄関前まで運び出し、19日に食料品販売にこぎつけたという。


 店は1カ月後の2月16日、全館で営業を再開し、多くの人が生活必需品などを買い求めた。「無我夢中だったのか、当時のことはよく覚えてないんです」と外山さん。後になって、買い物客から何度も感謝された。昨春、別の店舗から異動で戻ってくると、常連客から「帰って来たん?」と声が掛かった。それだけに、「私にとっても閉店は残念。何より、地域の方に申し訳ないです」と話す。


 長田区で生まれ育ったという主婦(64)は「震災後は物がなく、日用品を買い求めた。毎日のように来ていたので寂しい」。近くの無職男性(86)は「震災で焼け野原になった中でいち早く営業を始めてくれた。励まされ、元気づけられた人はきっと多かったはず」と残念がっている。【井上卓也】