<東日本大震災>幼稚園側に賠償命令…送迎バスの園児死亡で

 東日本大震災の発生直後、私立日和幼稚園(宮城県石巻市)の送迎バスで帰宅中に大津波に巻き込まれ死亡した園児4人(当時5〜6歳)の遺族が、園側に対し「安全配慮を怠った」として約2億6680万円の賠償を求めた訴訟で、仙台地裁は17日午前、約1億7660万円の支払いを命じた。斉木教朗裁判長は判決理由で「巨大地震発生後の津波に関する情報収集義務を園長が怠った結果、園児の津波被災を招いた」と指摘した。

【「やっと報われた」】勝訴の遺族、涙で握手

 震災犠牲者の遺族らが、学校や勤務先など管理者の安全配慮義務違反を主張し、賠償を求めた少なくとも9件の訴訟で初の判決。大津波の発生を予測できたか否かが最大の争点だった。損害賠償請求権の時効(3年)を迎える来春を前に、同種訴訟の提訴を検討している遺族らにも大きな影響を与えそうだ。


 訴訟で園側は「(震災は)1000年に1度の大災害。海岸線から700メートル離れた場所での津波被害は予見できなかった」などと請求棄却を求め争っていた。だが、判決は過去の地震・津波被害の報道などを踏まえ「たとえ1000年に1度の大地震発生を予想し得なかったとしても、約3分続いた巨大地震を実際に体感したのだから、津波に関する情報を収集する注意義務があった」と退けた。


 具体的には、震源地や津波警報の発令状況などを、防災行政無線やラジオで積極的に把握する必要があった、と指摘。送迎バス出発時には既に、大津波警報発令と高台避難が呼びかけられており「バスの走行ルートは、海岸から200〜600メートル、海抜0〜3メートル程度の低地帯だったから、津波被害は予見できた。情報収集義務を果たしていればバスを発車させることはなく、園児死亡との因果関係がある」と結論づけた。


 訴状などによると、同園は2011年3月11日の巨大地震発生約15分後の午後3時ごろ、園児を帰すため送迎バス2台に乗せて発車させた。1台は海抜23メートルの高台にある園に引き返して無事だったが、もう1台は低地の沿岸部で津波に巻き込まれ横転。付近で起きた火災に遭い、乗っていた園児5人と女性職員1人が死亡、うち園児4人の遺族が提訴していた。運転手は無事だった。【竹田直人】


 被告の日和幼稚園側は「予想していなかった判決で、園側の主張を理解していただけず残念。今後のことは、判決内容を検討したうえで考えたい。ただ、判決はどうあれ、園児らを亡くした悲しみは今も心に深く刻まれており、冥福を祈り続ける日々であることは変わりありません」とのコメントを出した。

津波犠牲「予見は可能」初判断 石巻・園児死亡訴訟、園側に賠償命令

 東日本大震災の津波で宮城県石巻市の私立日和(ひより)幼稚園の送迎バスが流され、死亡した園児5人のうち4人の遺族が「安全配慮を怠った」として、園側に約2億6700万円の損害賠償を求めた訴訟の判決が17日、仙台地裁であり、斉木教朗(のりお)裁判長は「津波の危険性を予見できた」と判断し、園側の過失を認め、遺族側に計約1億7700万円の支払いを命じた。津波の犠牲者遺族が管理者側に賠償を求めた訴訟での判決は初めて。


 斉木裁判長は判決理由で「幼稚園児は自然災害発生時に危険を回避する能力がなく、園長や教諭らは危険を回避する最善の措置をとるべきだった」と指摘。「情報収集義務を怠ったことと、被災園児ら5名の死亡の結果発生との間には相当の因果関係がある」として、「不可抗力による事故だった」とする園側の主張を退け、過失を認めた。


 訴訟では、大津波の襲来を予見できたかが大きな争点となっていた。遺族側は「津波発生は予測でき、高台にある幼稚園にいれば事故は起こらなかった」と訴え、園側は「千年に一度の巨大津波は予見できなかった」と主張していた。


 判決によると、平成23年3月11日の地震発生から約15分後、大津波警報が出ていたのに、園児12人を乗せた送迎バスが高台の幼稚園(海抜23メートル)から海側の低地に向け出発。7人を順番に降車させた後、津波に巻き込まれ、園児5人が死亡した。女性職員1人も亡くなり、運転手は車外に押し流されたが、無事だった。


 津波の犠牲者遺族が避難指示や安全管理をめぐり、管理者側に賠償を求めた訴訟は、ほかに少なくとも8件が係争中。

園児の命「守れたはず」 津波バス判決、手を取り遺族涙

 子どもに思い描いた夢があった。進学、就職、恋愛、結婚――。あの日、突然奪われてから、家族たちの闘いは始まった。地震発生直後、海側へ向かう幼稚園バスに乗せられ、津波の犠牲になった園児の遺族らの訴えを認めた17日の仙台地裁判決。父母たちは涙を浮かべ、「同じことを繰り返さないで」と訴えた。

【写真】津波犠牲者の遺族らが起こした主な訴訟

 「被告は原告に金員を支払え」――。斉木教朗(のりお)裁判長が言い渡しを終えると、遺族らは裁判長に向かって深々とお辞儀し、互いに手を取り合いながら涙を流した。


 次女の春音さん(当時6)を亡くした西城靖之さん(45)は、こぼれる涙を手でぬぐい、「私たちは間違っていないんだ、と自分たちに言い聞かせて2年間闘ってきましたが、司法が認めてくれた」と語り、声を詰まらせた。
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